文章を書くのって楽しいかも? と初めて意識したのは高校一年生の夏休み、校長先生主催の文章制作の講座に参加した時だった。
私が当時通っていた高校の校長先生は、かつて教育問題を専門としたNHKの解説委員を勤めていらした方で、定期的に体育館で行われる全校集会では毎回最後に「校長先生のお話し」の時間が設けられていた。
想像するに一般的な高校の校長先生のお話し、では道徳的な説法の様なものや、受験勉強や部活動を激励する様な特に強く印象に残る話はされないのではないかと思う。N先生は違った。彼は毎回日本国内と世界の社会情勢、ニュースから1つか2つトピックを選んでわかりやすく説明し、彼の意見、今後の展望などについてを話した。聞き手が未成年の中高生だからという理由でトピックを幼稚なものにすり替えたりせず、しかし誰にでもわかりやすい説明をされていたのは、彼の頭の良さや解説委員としての経験が成せる事だったのだろう。
高校一年生の夏休み、各科目の先生たちの主催する講座の中で、校長先生の文章講座があった。
私はドキュメンタリー映画やジャーナリズムに興味のあった友人に誘われて、講座を受けることになった。
当日指定された職員室前の小さい空き教室に行ってみると、参加者はなんと私と彼女の二人だけだった。
わざわざ貴重な夏休みを削って成績や受験勉強に直接関係のない文章講座を受けに来る生徒は、私たち以外いなかったのである。古文や数学の講座よりも、NHKの解説員だった方に文章制作の極意を教えていただけるかもしれない講座の方が、私には魅力的だったが。(今思うと特に)
N先生は紙を渡されて、好きなテーマで、自由に、自分の伝えたいことを明確に、一つの記事を書く練習をさせた。そして私たちは添削を受け、起承転結を意識した文章の構造などを学んだ。一方通行の授業ではなく、対話しつつ私たちの疑問を解消し、成長へ導いてくれる、改めてスマートな方だと感じた。
その時のN先生からの教えで、大切にしている言葉がある。
彼はこの様なことを言っていた。
「例えば、写真家になりたい、と思ったら、今は写真の専門学校とか美大で写真の選考とか、学校で学ぶ手段は色々ある。でも僕は、そういうことよりいかに写真と関係のない色々な多くの経験ができるかが、優れた写真家になることに関わってくると思う。
技術があっても、写真として切り取る現実を決めるのはその人間自身だから。」
文章も然りで、構成や文章力を身につけても、より重きをおくべきは文章を生み出す人の頭の中、人間像であるという訳だ。 いかにも記者であった方の考えだと思う。
この様な考えを持って人生を送ってきた方が校長を務める学校で勉強できたことは、多感な時期の私にとって幸運であったと思う。
N先生は私が高校を卒業する前に引退なさった。
あれから十年ほど経って、自分のホームページで早速、何についての文章を書こうか迷っていると、夏の小教室で白い紙に自由に文章を書かされた時の記憶が蘇る。
穏やかに平和な日々を過ごしていらっしゃることを祈る。